2010年1月21日 (Thu)
お薦めの本
母へのたより /林久恵/著
「老人保健施設の母に足かけ3年ほとんど毎日書き続けた愛のはがき!
母への思いをこめた言葉が切々と胸を打つ。
「お母さん元気?久恵だよ」と呼びかけの言葉ではじまる、
ほのぼのとした絵と文のはがき600余点の中から、80余点を収載」
林 久恵(ハヤシ ヒサエ)
1946年静岡県焼津市に生まれる。1955年横浜市に転居。
1969年東京学芸大学書道科卒業。その後小学校教諭を勤める。
1973年結婚の為、石川県金沢市に転居。
1993年金沢にて林心泉・恵川「ふうふde書展」開催
この方は、書道が専門のようなので、書くことには抵抗なかったのでしょう
私は絵も字も、長けているわけでないので、真似は出来ませんが
もう少し前に、この本との出会いがあったら
両親への接し方、ちょっと違ったかな・・なんて反省しています
尽しても・・・
こんばんは。
>もう少し前に、この本との出会いがあったら
両親への接し方、ちょっと違ったかな・・なんて反省しています
尽しても尽しても反省があるのね・・・。
masyumaroさんはベストをつくされたと思います。
ご両親の飛鳥の船上のお写真を拝見してそう思いましたよ。
言葉には表せない幸せが伝わって・・・胸をうちました。
いつもご両親のこと思っているのね。
おはようございます!!
ステキな本の紹介!ありがとうございます!!
当方、東京と五島に離れていましたから
話は、電話でした..手紙がよかったですね..
電話で話した事も、声も..
記憶が薄らいでしまっています
この前、NHKで絵手紙の特集をやっていて
毎日、お母さんに絵手紙を描いている方が出ていました
いい話でした..
逝かれてしまったので、経験ないのですが
どんなに介護しても、ああしてあげれば良かった、
こうしてあげれば良かったって思いは残るみたいですね。
私もかって、寝たきりになってしまった友達に
約10年、毎週絵手紙届けてました。
毎週届けた絵手紙が分厚くなった頃、
やっと友達に会えたけど、話をすることは出来ないので
手を握り合って、涙堪えて赤くなった目で見つめあっただけでした。
あの世へ行ったら、彼女と一緒に持って行った絵手紙持って
私を迎えてくれるかも~
それみて「下手~」って恥じるかも~
フラワー長井線です。
キッチンさん
あの頃は、自分の出来る範囲内で、十分尽くしたつもりで
悔いもなかったのですが
こんなやり方もあったんだと思うわけです
つい先だって、あの飛鳥のことを思い出していたのよ
郵船クルーズから、沢山のパンフレット、まだ届いていますか
あれを見る度に、懐かしく思い出されます。
humsumさま
こんにちは!!
離れていますと、なかなか気持ちは届きにくいですね
オレオレ詐欺の宣伝で
「たまには電話しなさい」と言うような内容のものがありますね
元気でいますと、どうしても、毎日の生活に追われて
親のこと、忘れがちですものね
私の両親も病になって、数年でしたから
それまでは
互いに元気が当たり前のようになっていました
奥さまも絵手紙されていますね
お母さんにも、書かれているのでしょう
暎子さん
フラワー長井線、
画像を見ていると、日本でないみたいです
山形赤湯から走っているようですね
暎子さんは、絵がお得意だから、ご友人は大喜びでしたでしょう
10年と長い間、彼女に取ったら、第一の宝物だったでしょうね
母が少し1ヶ月弱だったかな、入院したときに
主に花を撮り、一言添えて、入院先に送っていました
不定期でしたが、最後の一枚、退院後に届いてしまい
看護婦さんが、わざわざ、転送してくださった記憶があります
こんばんは
長い間 絵手紙やハガキなど 届けられると嬉しいでしょうね
頭が下がります
私の場合 毎日の生活に追われて・・・ではなくて
薄情なんでしょうね?
後で 後悔するのかも~とお思いながら
義務感だけで 見舞いにいってる気がしますが
まだ大丈夫だからででしょうか
おかーさん
いえいえ、おかーさんのされていることは
誰にも真似の出来るような量ではありません
それも、何の苦とも思わず楽しく乗り越えておられることに
敬服します
それと、自分の母と義母では気持ちが違います
かといって、両方の母がいる場合、均等にしなければいけませんものね
義務感で働く・・その気持ち分かります
私も義母に対しては、正直そうなります
そう言い聞かせて自分を動かして居るようなところがあります
それと、愛情で育ててくれた両親と違い
嫁で迎えられた婚家に対して、私も心から愛情で接すること出来ませんもの
しかし、表面上では、尽くしている自分があります(^^;;;
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